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10月20日

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本当に、日々、ただ猫を眺めていたいだけの私ですが、最近ニュースをつけると右寄りの方々ばかりが我が物顔で映るようになって辟易としています。

右寄りの方々の思考は単純そのもので、「我が国はすばらしい」の自画自賛の力学をただひたすら進むだけです。

以前の安倍内閣時代に、教育において《日本は美しい》という観念が押し進められ、ある小学校の現場での、うんざりする光景をニュースでみました。

どこかの学校の若い女性教諭が小学生に向かって「富士山は美しい」と写真を見せながら語り、それに対して生徒が、

「ほかの国にも美しい山はあるのではないですか。」と答えたところ、女性教諭は目をつり上げて「でも富士山は特別に美しいのよ」と返していました。

どんな時代のどんな環境にも、上の方々の方針に付和雷同するだけの人々は、残念ながら相当数存在すると思います。

富士山が美しいことに、私もなんの異論もありませんが、“我が国の山だけが”という《擦り込み》によって子供たちに与える偏見が

交通の飛躍的な発達と情報化により、どんどん狭くなる国際社会に生きるこれからの日本にとって、どのような弊害をもたらすのかと思うと、

右寄りの方々が支配する世が生まれてしまう未来を、暗澹たる思いで憂慮せずにはいられません。

自分の故郷が素晴らしいのは、自画自賛によるものなどではなく、慣れ親しんだ自然環境の持つ人知を超えた素晴らしさとともに、

その同じ環境を生きて育まれた個々人の独創的な感性からうまれた文化(芸術のみならず、科学や工業など人間の生み出したもの全てを意味。

個人の発想を基礎に、ひとりひとりがこの世が少しでもより豊かな世界であってほしいという願いをこめてコツコツと試行錯誤を繰り返した結果

生まれでたもの。蓄積によって形作られたものであって、後付けの観念的な自画自賛の自己評価など、

永久的に国際的な評価を得られることのない、というより、本当に人間の創造力の生み出す可能性に少しでも関わったことのある者なら

誰しも理解する価値観から見れば、評価にも値しない薄っぺらなのもだということが、何故わからないのだろうかと、いう思いで日々を暮す私です。